めんぼう

ゴールに嫌われています、色々な意味で。


以下 内面。
Comm,susser Tod.
何も書くことがない一日ってありますよね。そんなわけないじゃん。おまえ死んだのか?
日常は空気なわけですから、当たり前は印象が薄いし、あかちゃんでもないのに「今日はひとりで立った」のような自身の行動をいっぱしの人間が記すことはありません。
新しい発見したんだね。はい、よかったよかった。
何でそんなに荒んでんの? おまえだれよ。おまえだれよ。


印象はあった。
夢の中。理想郷の中。
45度傾いた視点。いつもどおりの自分。いつもどおりの家族。いつもどおりの家。いつもどおりの生活。いつもどおりの社会。
自分はわけもわからず、見っとも無く泣き叫んでいた。家族の前で抗議していた。赤ん坊のように。
玩具屋の前で欲しいオモチャを買ってもらおうと母親に泣きすがる幼児のように。
自分は目前の事象に無我夢中で、それ以外は何もわからなかった。外野もなにもわからなかった。
母親に泣いて怒鳴りついた。親は何も言わない。嘲笑っているのか、哀しんでいるのか理解できない硬い表情。
それなのに親は動こうとしない。ずっと親だと思って見て来たこの姿は、そんな形をした人形だった。
いつもどおりだから親には違いない。いつもどおりだから、いつも泣いてる。