憶測

人間が思う厭な人というのは、自分に対して害である存在であったり、自分が思えられるものすべてに対して害である存在でしょうか。
『他人』が厭な人間を振り分けることは別として、厭な人間のうちに入る人は自分のことをどう認識しているでしょうか。
崇高な考えで必要悪と捉えているでしょうか。一般的水準の目で見ると、そのように考える人は多くないでしょう。
何パターンかあるでしょう。
あえて厭な人間になることで、厭な人間であった人からの防御ができる。模倣・演技型。
部分意識が欠落していて、厭な人間であることに気付かない。天然型。
自我が歪曲及び崩壊している、もしくは洗脳されていて、意識のコントロールができない。病理・固定概念型。
厭な人間は個人や時間の経過によって変化するので特定はできませんが、複数の人間をひとつの囲いで括ると、良い人が悪人になったり悪人が良い人になります。
散々言われている事ですが、厭な存在の人間を受け入れるためにする行動は、「前向きに」しかなさそうです。
なんだかんだいって「いやなやつは、いやなやつ」
同族嫌悪。ただのわっこ。
時間の無駄。思考の無駄。
ただ、かんがえたことに価値がある。