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まず最初に断っとこうかな。ここを読んでくれている方へ。(勿論自分も含む)
何時にもまして、かなり情けない文章がずらずらあると思うのでそういうのが嫌いな方は見ないで下さい。(もっとも炙り出さないと見えませんが)
興味ある方だけ見てください(苦笑)






ごめんね。
本当に……自分がダメな人間だということがいまさらわかったよ。何時の間にか『楽しい時』が『苦痛の時間』になっていたのに、全然気付きもしなかった。

ともに笑って 遊んで 喜んだこと。沁み付いた記憶は昨日のように思い出せる。でも時が変遷する次第に、何かが変わっていった。それは詳しくは分からないけど、雰囲気で掴めそうな感じなんだ。
それは自分を蝕んだ。醜く蝕んだ。蝕んで腐ったその顔を、平然と晒し出していた。壊死した声帯で君を呼び続けていた。

昔の自分を振り返って、どうしようもない過ちを犯した。その過ちに気付くのが遅すぎた。現在になってリハビリをしてもね……。
でもリハビリは意味があると自負してる。とりあえず一段二段も大人になったと思う。

文字で好きになって、文字で離れた。どこかで文字で身を庇って、どこかで現実で身を庇った。
いくら時代が進んで、どんなに遠くに居ても存在を伝えられることができても、本当の温もりを与えることはできない。
コミュニケーションが下手で、伝えたいことが伝えられない僕はリアルタイムで流れる文字の羅列についていけなかった。

恐くて文字を打つことすら躊躇う。絶対反感を感じさせることはないのに、挨拶程度でも心悸亢進して手が震える。
何も恐くなかったあの時の自分が少しだけ羨ましい。

平安時代の貴族達は夢の中で好きな人が出ると、「相手が私を思ってくれているから、現れているんだわ」と考えていたみたい。いまでいうとかなりのロマンチストだけど、こんな風に考えられるならどれだけ幸せだろうか。
ここまでは思わないけど、夢の中で好きな人がでてくると夢から覚めたとき、幸せと嬉しさと夢から覚めたくなかったという気持ちはわかる。

現実は理想より厳しい。
現にある日を境に連絡を絶った。
これ以上側に居てはいけないという自責の念と、悲しさからだった。
今の自分なら絶対とはいえないけど、自分を持ち続けて居続けられるだろう。
だけどそれは叶わぬ現実。二度と自分からは声をかけられない。
ずっと待ち続ける。無謀であっても待つ。一生君から声をかけられることがなくても、くいはない。
変わらぬ君であれ。気が向いたら、声をください。

追伸
この時間は無駄じゃなかった。寧ろ成長の時間を与えてくれたんだ。

心から……ありがとう。