日記

昔の日記に書いたことのある内容かもしれませんが、今一度書こうと思います。
私は幼い頃からひとつの枠でしか物事や価値をとらえることができません。
これはある意味で離脱の失敗であり、カリメロのように頭に殻を被せているのと同じです。
それによって理解の無い人にはわからない苦しみがあります。
いつも私です。しかし私ではありません。
私は人に頼ってはいけないし、頼られてもいけない。
それが他人と自分を傷つける考えなのです。
人に動けと散々言われるのに、動かない。動きたくないわけではないのに(寧ろ率先して動きたいぐらい)、動かないのです。動けないわけでもない。
ではどうしたら動くのかと自分なりに考えてみると、「晴れていれば動く」のです。
最近天気のことばかり言っているのもこのせいです。
話がそれますが、この日記を書いている日(11月1日)は快晴でとても気持ち良い一日でした。
通学途中の自転車を運転しているときは、体のなかに溜まった鬱蒼としたものが体外へ放出されているのを実感しました。
クリアになった器は、鋭敏に事象をとらえることができるのです。

          • 脱線ここまで-----

一定の条件を負わなければ動かないということです。
なんともわがまま極まりない人間ですが、そんな『性質』をもっている生物だと思ってください。
本当はもうすこし掘り下げて書こうかと思いましたが、より言い訳がましくなるので止めます。
こんなことを書こうと思ったきっかけは、自動車と自転車を運転しているときに気付いたからです。
自転車のときは周りがよくみえるのに、自動車のときは周りをよく認知しないのです。
どちらも同じようにやっているつもりなのに……。
自動車事故に対するトラウマは関係ないと思うし。